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体と心と思想をめぐって勝手に生まれてきた言葉


by bonishijima
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ふと夜空を見上げると満月である。
その瞬間心は体ごと空に直結する。
ぱぁっと目の前に広がる黒く心地よい空間。
pituitary gland(脳下垂体)に秘密の通路があるのがわかる。
そんな風に何もかもがはっきりと形を浮上させてくれればいろんなことがわかるのに。

選挙について書こうと思ったのに何故かこんなことを書いてしまった。
あまりにも心地よい瞑想から覚めたばかりだからか。
今夜は満月。
父の生まれた夜は満月だったそうな。
そこから付けられた名前は私に引き継がれた。
そしてそれは私の・・・

またもや選挙とは違うことを書いてしまった。
夜中だから仕方がない。

先週の火曜日は選挙日だったが、同時に私のヨガクラスの最後の日でもあった。
この国では多くの人が日曜日に教会へ行くため、大統領選挙は日曜日をはずして11月の最初の火曜日にしようと随分前に決められたそうである。
会社や学校は休みのところもあるし休みじゃないところもあるらしい。
産休前の最後のクラスを無事終えてすっきりして帰ってくると、ちゃんと投票に行ったという旦那が家で待っていた。彼はアメリカ国民になって15年くらい経つが、今回がはじめての投票である。
今回の選挙に特に熱い思いを抱いていたとは思えないが、自分でさっさと事前に選挙登録を済ませて家の近くの小学校で投票してきたらしい。
ニューヨークの投票結果は初めからわかっているので、寸前まで行こうかな、どうしようかな、と言っていたのに、やはり自分で投票したということは彼なりの思いがあったということだろう。

ここ何週間か、’私も含めてニューヨーカーはみんな一様にずっとそわそわしていたように思う。今回はいけそうだ、いやしかし本当にそううまく行くのだろうか。やっぱり信用できない。もしかして・・・

8年間も失望の日々だったので無理もないのだ。
私たちは特に4年前の敗北の日のことを鮮明に覚えている。
翌日街は本当にがらんとして、レストランにも人影は’まばらでみんな下を向いて歩いていた。
車のバンバーに張られた応援ステッカーが虚しく胸を詰まらせ、多くの人たちがこの街とこの国を去っていった。どこにも行くことのできない者は歯を食いしばって留まるしかなかった。
外国に行ってもばかにされ、ばかにするくせにユーロ高の勢いでもって押し寄せる観光客に揉まれながら。

それが・・・本当にあっけなくも圧倒的に勝ったのである。
やっぱり勝ったか・・・いやでも、本当に?本当だ!すげえ!
あの夜ニューヨーカーの気持ちを代弁するとこうであろう。

私が最初に驚いたのは選挙結果判明の早さである。
州によって投票終了時間が違うため、ほとんど毎時間ごと「あと10分で**州の投票が終了します」などと知らせが入ってくるが、それが瞬く間に開票結果が判明するのだ。
8年前のリカウント事件を思い出すと、このテクノロジーの進歩はすごい。アメリカもやるときはやるぜ!という意気込みが伝わってくるようだ。
それもインターネットで刻々と変わる全国の開票結果がチェックできるので、我が家は一気にテレビ局のようになってしまった。旦那がネットをチェックして、私がいろんなテレビ局にチャンネルを合わせる。家は大体いつもCNNなので、今回もCNNを柱にBBCアメリカとMSNBC、たまに嘲るためにFOXを見たりしていた。

笑けたのがBBCで、メインキャスターのおっさんは「えー、次はノース・ハンプシャー州」(ニューハンプシャーです)などと未だに旧大陸のことが忘れられないようなさめた報道をなさっていた。「次はウーテー州って読むのかな、これ?ウタ州かな?」(ユタです)とも言っておられた。モルモンが聞いたら激怒するぜ。

一番よかったのはCNNで各州の各地域でどういうバックグランド(年齢、人種、性別、宗教、学歴、職業など)の人たちがどっちに投票しているのか、そしてそれは4年前に比べてどう変化しているのかなど、こと細かく報道していた。早い段階でオバマがマッケインが巻き返しを図っていたペンシルバニア州を取り、その後オハイオ州を取ったときは(オハイオ州はいつも揺れているという意味のスイング・ステイトと言われており、ここを取らずに選挙を制した共和党はないそうだ)こ、これは・・!と思ったけれど、その後バージニア州(軍の影響力が強い保守的な州)を取ったときにはもう「・・・!!」という感じだった。最後に残ったのはカリフォルニア州、ワシントン州、オレゴン州などの絶対的な民主党の牙城のみだったので、それらの開票結果を待たずに各テレビ局ではオバマの勝利を報じていた。

その後マッケインの敗北宣言。
聞いてそのスピーチのすばらしさにびっくらこいた。
なんで今までこの人はこういう風に話さなかったんだろうかと。
単純な私は思わず「あんたもよくやったよ」と涙ぐむ始末。
知り合いのアメリカ人はみな、あれは専門家が書いた文章を読んだだけだからと言うけれど、
それにしても短時間にあれだけの長さの文章を憶えて、何も見ずにすらすらと熱弁できるとは日本人からすれば驚異的な技である。

それからもずっとオバマのスピーチを待って起きていたけれど、いつの間にかカウチで寝てしまい、起きたときには「God bless you, America!」と最後の決め台詞で舞台を去っていってしまった。
ああ・・・
その後も再放送を待ってしばらく起きていたがまた眠ってしまい、起きたときには再び「God bless you!」で締めくくられてしまってやっぱり見れなかった。

しかしながら世界各国でいろんな人たちが祝っているのを見て、ああよかったなとしみじみ思った。オプラ・ウィンフリー(人気番組の司会者・黒人)がオバマ・スピーチを聞きながらじっと涙をおさえている。そういえばこの人が最初に無名のオバマを支持して、オバマは注目されたんだった。さぞ感慨深いことだろう。
ジェシー・ジャクソン(黒人解放運動家・黒人)が大泣きしている。そういえばこの人はオバマのキ**マを切り取ってやりたいとか言って、ほされてたな。最後にはやっぱり出てきたか。
などと思いながらテレビを見ているといつまでたっても居間から離れられなかった。

それにしても思うことは、ブッシュ大統領の異常なまでの不人気である。
彼の宇宙的・全世界的不人気ぶりがなかったら、オバマはここまで来れなかったと思うと複雑である。また、共和党候補がマッケインで彼が副大統領に選んだのがペイリンだったということも大きい勝因だっただろう。もしロムニーなんかだったらかなりやばかった。選挙ってイメージとグルーブなんだなあと本当に思う。だからオバマもこれから大丈夫かなあと思うけれど、ようやく見た彼の勝利宣言のスピーチに、今までにないカリスマみたいなものを感じたのは私だけではなかっただろう。

結局、彼が言ってることはすべて本当のことであり、本心だからである(のように聞こえる)。
すべてはあまりにも正しく美しく、使う人によっては全く信用できない言葉であるが、彼の口から出てくるとキラキラ光って思わず膝を叩かせてしまうのだ。
そう、彼は最初特別なサポートや資金を持っていなかったが、多くの普通の人たちが5ドル、10ドルと寄付して次第に巨額な資金となっていったのである。
そう、彼は最初から一貫してuniteを目指していた。それがみんなの求めるchangeだと最初からわかっていたのである。

いやいや、これからどうなっていくんだろう。
私がオバマだったら眠れないだろうな。
それにしてもブッシュに嫌気がさしてヨーロッパや日本へ去っていった人たちにはザマーミロ!という感じである。あなたの国は今はサルコジさんですか、あ・そうさんですか。くくく

後日日本のニュースで見た、しょーもない日本の閣僚のコメントには本当にがっかりした。
「いやー、民主党といっても世界各国にありますから一緒にしないでください」とか「現内閣こそチェンジ内閣ですよ」とか本当にしょーもないし恥ずかしい。
おいら達の次期大統領はかっこいいぜ!
これこそが今のアメリカ人たちの、少なくともニューヨーク在住民たちの本音なのではないだろうか。
# by bonishijima | 2008-11-14 17:39 | 時事関係

報告その2

やはり夜になると集中力が少しずつでてくるようだ。
昼間にいろいろしなくてはならない日々は向いてないと思うけど、深夜にクラスを教えるわけにもいかない。理想は昼寝か宵寝で夜更かしと早起きする。やはり南国で暮らした方がよさそうだ。沖縄よ、待っててくれ。(ん?沖縄にシエスタ習慣あったっけ)

もう1ヶ月近くになるけれど性別が判明した。
旦那はどっちか知りたくないというので紙に書いて封筒に入れてもらうことにし、ケナゲにも封筒持参で一緒に病院に行った。検査をしてくれた人はわかったといって、何も言わずに心臓とか肺とか私はよく見えなかったけどいろんな臓器を見ながら10分くらい説明してくれて、その後旦那に「ちょっと向こうを向いてて」と言って私の方にスクリーンを向けてそこへ“BOY”とタイプした。が、がーん。。。ボ、ボーイか・・・「わかった?」と彼女。女の子がほしかった私は「わかりました・・・」とうなだれるが、旦那に気づかれてはいけないと自然に振舞う。
「え?もうわかったの?」と旦那。「わかったよ」と私。

その後もじっくりいろいろ説明してくれるんだけど、何故かその後はずっと主語が"he"となり、私はおいおい、ばれるじゃないか“baby”と言ってくれよと内心ひやひやだったけど、検査係の人は何にも言わずそのままずーっと"his eyes""his heart"と続けていく。そして検査も終わりに近づいた頃、ようやく「あのー、私はインド人だからインドでは子供は一般的に"He"なのよ。だからあなたの子供が男の子というわけではないのよ。」と言った。
おっせーよ、フォローが。大体、英語じゃsheで受けるんじゃないの?!(違うかも)

ということで検査が終わって廊下でエレベーターを待ってるときに、やっぱり旦那に「男の子だったんでしょ?」と言われた。う・・・そ、そうです。「やっぱりな~」

ということで男の子だった。
ということで今、名前を一生懸命考えている。
ある日クラスから帰ってきたら、その日休みだった旦那が「ねえねえ、フジタってどう?」と言う。ふ、ふじた?苗字みたいなんですけど・・・
「じゃあフジトは?」うーん、微妙。「でも何で?」と聞くと
「富士山だから」
・・・・
かわいいけど(旦那が)でもちょっと考えさせてと言うと
「じゃあヒトっていうのは?」
「ヒ、ヒト?」human beingですかい?
「ヒってlightっていう意味でしょ?」
いや、それはローマ字英和辞典が間違ってるのでは。

というわけで国際結婚の男の子の名前ってかなり難しいと思う。
# by bonishijima | 2008-09-01 12:14 | 妊娠日記
NYタイムズに竹島問題についての記事が載っていた。

韓国人の心情の沿って書かれており、肝心な歴史的背景については殆ど何も説明がなかったため、どちらが悪いかなどという批評は、黒船に乗ってやってきたペリーをペルーと間違えて外国人に説明してしまうほど歴史的無知な私には到底できなかったが、どうやら日本がこの小島を日本領と宣言したのは日露戦争後の1905年だったらしい。この記事からははっきりわからないけれどそれ以前は、小島ははっきりとどこの領土か国際的には宣言されていなかったようだ。(いや、でも何かあったんだろうな、だって韓国があんなに自国の領土であることを主張してるんだもの・・・)

それにしても私がまず驚いたのは竹島(Takeshima)/独島(Dokdo)が2つあることである。
写真を見ても2つあるし英語の記事にもisletsと複数になっている。
そんなこと全然知らなかったけど、すぐに「なーんだ」と思った。
2つあるんなら一つずつ分け合えばいいじゃないの、と。
漁業権とかどうなるのかよくわからないけど、カリブなんかにもオランダ領とフランス領が一つの島に隣接してたりするし、友情の島“友島”とか何とかという名前にして韓国と日本の友情マイルストーンにすればいいんじゃないだろうか。幸いにもほとんど住民はいないようだし、日本は戦時・戦後悪いことをいっぱいしたから韓国が大きい方を取ればいい小さい方で文句をいう人は日本国民であまり多くいないんじゃないだろうか。二つの島につり橋なんかかけちゃったりして、彦星と乙姫のように年に一度出会ったりする祭典とか催しちゃったりして。

そう思えば思うほどグッドアイデアに思えてきたのでNYタイムズに読者意見として投稿することにした。しかしまずはもう少し歴史的背景を勉強するべきだろう。みなさん、ペリーはペルーではありませんよ。

http://www.nytimes.com/2008/08/31/world/asia/31islands.html?_r=1&oref=slogin
# by bonishijima | 2008-09-01 10:21 | 時事関係

Canary

ImaginAsian theaterでCanary(カナリア)という映画を見た。
ドキュメンタリーだと思ったけれど、オウム真理教の地下鉄サリン事件をドラマ化したもの。
母親がテロ実行者で、教団内で育った子供が主人公。2時間以上の作品だったけど飽きることなく見れた。日本の木の緑色は独特だなあと思いながら見た。目の見えないおばあさんが折り紙で鳥を折るシーンがきれいだった。

実はこの映画、観客は私を含めて4人だった。
日本人と思われる3人と黒人の男の人1人。
シリアスな映画を見ながらポップコーンを買う日本人がいるはずもなく、ポップコーン売り場券チケット売り場の若いお兄ちゃんは超ひまそうだった。
こんなにすいてる映画館は久しぶり。昔みなみ会館でよくそんなことがあったような。

終わって外に出ると夜のNYが心地よい。
映画のあとの街はきれいに見える。
クイーンズボロー・ブリッジのすぐ脇だったので、バスに乗って橋を渡り帰途につく。バスなんてこれまた大停電以来なので、車窓の風景はずいぶん美しかった。
# by bonishijima | 2008-07-31 18:13

家がなくなる

弟が結婚したらしい。
届けを出しただけのシンプルな結婚。
京都の実家(借家)に唯一残っていた弟が引っ越すことになる。
私の実家には昔たくさんの人と犬、猫が住んでいたけれど、私を先頭に一人ずついなくなって、とうとう誰もいなくなった。弟が去った後はおそらく取り壊されてしまうだろう。
ものすごいボロ家だったけどとても愛嬌のある家だった。
多分もう中に入ることはできないだろう、と思うと寂しい。
あの家にあるのは何といってもお母さんの思い出。
それこそ隅々に散らばっている。
もし家が取り壊されたらお盆のときお母さんはどこへ帰っていくのだろうか。
そう思うとつらいけど、明るい人だったから自力でどこか楽しいところに行く気もする。
私も含む去っていった人たちがそれぞれ荷物を大量に残していったので、後に残された弟はそれこそ片付けが大変だったようである。
怒涛の引越し作業の中、私の私物や本も許可なく勝手に捨てられたようだ。
ちょっとひどいとは思うけど、弟の門出を祝う焚き火の糧となれば幸いだと初めてスカイプで電話をかけた。
# by bonishijima | 2008-07-29 12:56 | 日本のこと、日本にて