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体と心と思想をめぐって勝手に生まれてきた言葉


by bonishijima
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以前の日記に書いたように私は緊急帝王切開で出産をしたわけなのですが、それは産後1ヶ月たった今も少し「引っかかる」出来事です。自分の考えをまとめるために、そのことについて少し書いてみます。

まずはそれが「促進」されたお産だったってこと。メインの理由は「羊水が少なくなっている」と言われたこと。赤ちゃんもあまり動いておらず、心拍も低くなっているということ。また羊水のレベルにはいろいろ説があって、これは自然系の出産本に書いてあったのだけれど、羊水は日によって量が異なることもあるらしい。だからその日少ないからといって慌てることはないという説もある。

第2に促進剤には陣痛を誘発させるピトシンというのが使われたのだが、これが効きすぎて赤ちゃんはお腹の中で暴れまわるし、私も激痛に襲われるし、仕方がないのかもしれないけど正直ひどい目にあった。そしてピトシンは激痛をもたらすため、痛みを抑える麻酔エピドュラルを使わざるをえなくなるということ(がんばって耐えて使わないようにすればよかったのだろうけれど)。さらにエピを使うと陣痛が遅くなりまたピトシンを使って、それをまた抑えるためにエピを使って・・・という悪夢のダウンワード・スパイラルに陥りやすいということ。私は1度ずつしかピトシンとエピを使わなかったけれどこわい話である。

第3は、これもほんと仕方がないことなんだけれど、3年前に受けた子宮筋腫の摘出手術でお腹(子宮)を切ってる経緯があるということ。切らずにおへそから管か何かを入れて筋腫を切る内視鏡手術もあったみたいだけど、保険の都合で受けられなかった。もしこの手術をしていなければ今回吸引などで無理やり普通分娩ということもできたかもしれない。

まさに、もしもあの時・・・の連続マイナス思考なんだけど、産んでから運ばれたリカバリー・ルームでウトウトとまどろみながら私はぼんやりこんなことを思ってた。結局は仕方がなかったなという所に行き着くけれど「何かすっきりとしないな~」という感じ。でもまあ、それでもぐうぐう寝ていたんだけど。

なぜ破水もしてないのに(と思う)羊水が少なくなっていたのかわからないけど、1週間くらい赤ちゃんの動きが少し鈍かった気もするので、羊水は少し前から少なくなっていたのかもしれない。それなら早めにそう報告していれば違ったのかと考えると、ただ単に早めに帝王切開になっただけのような気もする。もしくは「促進」お産にNOと言えばよかったのかもしれない。でも赤ちゃんの胎動が少なくなって心拍も少ないと言われたときに、どれだけの人が「いえ、大丈夫です。」と踏み切れるだろうか。

子宮筋腫の手術に問題があったのだろうか。その当時私は手術を受けたくなくて、鍼灸や漢方の治療をを集中的に受けていた。それでも3ヶ月後には6センチだった腫瘍が何と9センチにも膨れ上がって、このままでは子宮全部取らなきゃならないということにまでなってしまった。

うーん、やっぱりコトがなるようにしかならなかったのかもしれない・・・
それに何と言っても無事に生まれてきてくれたのだし。

ただまるで自分がこの国の保険・医療制度の闇の世界で踊らされたような気がして、何だか納得できない。というか単純に残念だった。陣痛もしんどかったし、帝王切開手術も怖かったし。インターネットで日本のテレビ番組を見たら、若いタレントさんがすごくやさしい看護婦さんたちに囲まれて、立派に静かにお産をしておられた。病院のご飯もおいしくて体に優しいものばかりに違いない(私なんて翌日ミートボール・パスタよ)。もし次の機会があるのなら是非とも日本の病院にお願いしたいと思う。窓の外に満開の桜でも眺めながら。
# by bonishijima | 2009-01-29 08:46 | 妊娠日記
タイトルはちょっとメルヘン風に。
この日記はもう何度も書きかけては中断してを繰り返していて、もう一言「ダンジ、ウマレル」だけの報告にしようと思ったのですが、せっかくなので今まさに膝の上でおならをぶーっとこいておられる男の子の誕生物語を自己満足のためにも書いておこうと思います。

チビぼう、あーちゃんはクリスマスイブについに生まれました。

12月22日は予定日だったけれど何も起こらず。
ミッドタウンでヨガを教えてらっしゃるSさんに借りていた本を急いで返しに行った後、余裕をかまして旦那と一緒にマンハッタンの蕎麦屋でランチを食べる。

翌日はちょうどドクターとのアポイントメント。問題ないと思うが、一応出産予定の病院に行って検査を受けてみなさいとのこと。(普段の検診は小さな総合クリニックで受けている。出産の担当医は同じ)以前に子宮筋腫手術で子宮を切っているのに普通分娩をするということで、私は“ハイリスク出産”とされており、担当の先生はしばしば私を専門医に送っていたのだった。関係ないけど私の担当の先生はスペイン語で“小さな窓”という名前の優しいおじいちゃんです。

すぐに病院に行って検査を受ける。どうも羊水が少なくなっているらしく子供があまり動いていないという。そして心拍数も低いらしい。破水の覚えは全くなかったので寝耳に水だった。そのとき私はものすごくお腹がすいていたので、そのせいじゃないのと検査医に助言してみたが(私はよく先生に助言する)それとは関係ないと一笑された。検査室の隣はちょうど看護士たちの休憩部屋で、クリスマスクッキーやケーキなどが続々運ばれていく。死にそうなくらいお腹がすいていたのでじーっと見てると、私の専門医は「きみ、お腹すいてるの?クッキー食べる?」とクッキーを数枚くれた。その後も何回か「もっとくれ」と要求してさらに食べたクッキーが最後の食べ物になろうとは。ケーキも食べておけばよかった。

エコーのあと、さきほどの専門医に呼ばれてお話。「クリスマス前に出産したい?それとも後?」といきなり聞かれ「いつでも準備オッケーよ。わはは」と冗談をかましたら「OK。レッツ・ドゥー・イット・トゥデイ!」とおっしゃる。え、トゥデイ・・・?
「赤ちゃんの心拍も落ちてるし羊水のレベルも下がってる。このまま家に帰って何か起こったら心配だし。これから上の陣痛室に行って促進剤を投与して、明日には生まれるよ。はっはっは」「君はラッキーだよ。さっき僕がたくさんクッキーあげたからね。もう生まれるまで何も食べられないよ」
駐車のメーターにコインを追加しに行った夫が帰ってくると、「こ、これから産むんだって・・・」と体が震える。し、しまった。お昼ごはんを食べてくればよかった・・・いや、それどころじゃない。

時刻は午後3時ちかく。入院手続きやら保険の記入やらを済ませ、陣痛をする個室に入って栄養剤などの点滴を受ける。
「君がラッキーだったら大体8~12時間くらいで子宮口が開いて分娩室に行けるかもしれない。そうでなかったら・・・もっとかかるかもね。」
が~ん、ラッキーで8時間・・・

実はこの日は、夕方の6時ごろに妹が日本から飛行機でNYに到着することになっていた。
分娩と重ならないといいけどなあと思っていたが、ばっちり重なってしまった。旦那は空港まで迎えに行かなくてはならないし、それ以外にもいろいろ準備をしなくてはならないので4時半ごろ一旦家に戻る。その間私は普通に元気にテレビを見ながら看護士といろいろ話したりしていた。一つとても気になっていたことがあったのである。それは・・・下の話になるがアメリカで浣腸をするかどうかという点であった。それまでに調べた限りでは、どうも浣腸はないらしいというのが結論だったのだが確認したかったのである。というのも、実はその日、朝のアポイントメントが早くて用を足せていなかったのだ。はっと気づくと点滴やら何やらでベッドにくくりつけられている。分娩室に行くまでに是が非でもやってしまわなくては。ということで、おそるおそる尋ねてみると「そんなものはしない」とのこと。しかも!トイレに行ってもいいけど「きばっちゃダメ」らしい。え・・・そんな馬じゃないんだから・・・

そのあと何度もトイレでトライしたが出来なかった。
看護士のおばちゃんは「あのね、分娩室ではそういうこと毎日起こってるから誰も気にしないわよ!」と言う。私が気にするよ!!
そんなこんなで7時ごろいよいよ促進剤が投与されるも、10時くらいまで何にも起こらず。しつこくお腹はすいている。

8時半ごろ妹と旦那が到着。
「マイケルが鮭の味噌焼きを作ってくれたよ」

10時ごろ長旅で疲れた妹は家へ帰り、11時ごろ旦那だけがまた戻ってくる。

1時くらいまでヨガ風呼吸でじっくり陣痛に対応。

2時くらいから呼吸どころではなくなり叫びはじめる。しかしこの時点でまだ子宮口は1.5センチしか開いていない。というか、朝の診察ですでに1.5センチ開いていたんですけど・・・

3時ごろ、エピドラル(麻酔)を懇願する。が、まだ子宮口1.5センチのまま。5センチまで待ちなさいとのこと。

5時ごろ(?)引き続き叫びまくる。
まだ1.5センチ・・・あ・り・え・な・い!
先ほどの看護士が来て「アンタ、これまだ前半よ。あと10倍くらい痛くなるわよ」という。やかましい!とっとと浣腸もって来い!(冗談です)

6時ごろ(?)絶叫。ベッドに横たわっていられない。勝手に床に四つんばいになって耐える。激しく背中をさすってもらう。やっと4.5センチ。陣痛はもう1~2分間隔に。産前に読んだ情報ではもう間もなく生まれる状況のはずなのに・・・子宮口が10センチになるまでイキむことはできない。やっとエピドラルの許可がおりる。「でも今、麻酔医が他の人にしている最中だから、もう少し待っててね」

20分(?)経過。慟哭。まだ麻酔医現われず。お願い、もう一人雇ってください。

10分(?)経過。ようやく麻酔医登場。「大丈夫、すぐ効くからね~」
彼はものすごくテキパキとあっという間に痛みもなく硬膜下麻酔(という名前だったと思う)をしてくれた。

5分後。天国。よし、これから生むぞ!

しかし傍にいた看護士の表情がすぐれない。
「気分はどう?」
「痛みはなくて天国よ。でもちょっと寒い」

まもなく看護士がインターホンで何やら話し始めると、すぐに5,6人の医者やら看護士やらが入ってきていきなり酸素マスクやら何やらをつけられる。「これは帝王切開にした方がいいかもな」とか話してる。
ここでやっとドクター“小さな窓”登場。え~ん、ドクター、遅いじゃないですか~
どうやら私の血圧が急低下し、赤ちゃんの心拍数も低下してしまったらしい。触診をしてもらうと、赤ちゃんの頭はまだまだ高い位置にあるという。そのくせ陣痛は異常に激しく、赤ちゃんは動きまくってるらしい。

「君は子宮筋腫手術もしているし、これは帝王切開にした方がいい。」

が、が、が~ん!!
一番恐れていたことが・・・!!
いやだ~~

本当に断ろうかと思ったくらい普通分娩にしたかったが、どうもリスクが高そうだったのでどうしようもなかった。諦められなくて、促進剤なんて打たなきゃよかったんじゃないのかとおじいちゃんドクターに言うと、促進剤ですんなり安全に生まれることもあるし、こういうこともある、仕方ないよ、と言われる。おじいちゃんはおじいちゃんなので、手術は彼のパートナー医師が担当するらしい。「わしはアシスタントに回るからね」
「でも今、他の患者の帝王切開手術中だから、少し待っててね」ま、またか。

そのころ妹がタクシーで現われる。「大変なことになったねえ。でもお医者さんの言うとおり、安全第一で帝王切開にした方がいいよ。」妹はいつも冷静でしっかり者さんである。
手術室の立会いは一人だけということなので、旦那に来てもらって、先ほどの麻酔医が(偶然にも彼はポーランド人だった)同じく麻酔を打ってくれた。この手術についてもいろいろ語るべきことはあるのだが、長くなるので割愛。一言だけ述べておくと、下半身麻酔だけなので痛みはないが非常に怖い代物だった。しかし麻酔も入れて大体全部で40分くらいのスピード手術で、アメリカ人もやるなと思ったくらい、終わってしまえばあっという間だった。クリスマスイブの午前11時47分、5回くらいおんぎゃ~と泣いて、あーちゃんは無事登場した。このときはやっぱり涙が出た。

急にお腹が開けられて引っ張り出されてびっくりしただろうな。

ようこそ。お待ちしておりました。
# by bonishijima | 2009-01-24 17:16 | 妊娠日記
NYタイムズ紙で麻生首相の家族が経営する炭鉱工場が、第二次世界大戦中POW=prisoner of war(戦争捕虜)に強制労働させていたという記事を読んだ。

http://www.nytimes.com/2008/12/20/world/asia/20japan.html?_r=1&scp=1&sq=prime%20minister%20aso&st=cse

私は全然知らなかったけれど、日本では以前から噂や批判があったらしい。それどころか麻生首相が日本政界で最も裕福な政治家の一人だなんてへーって感じである。こういっちゃなんだけどそんな品格が微塵も見られないから驚きである。pimpの出かと思った。いや失礼。

記事を要約すると、第二次世界大戦中、麻生首相の家族が経営する炭鉱で約300人の捕虜が労働力として使われていたそうだ。彼らはオーストラリア人、イギリス人、オランダ人捕虜プラス、アジアからの強制労働者たち。麻生氏は長い間この疑惑を否定してきたのだけれど、厚生省の地下室から証拠となりうる関連書類が出てきたことで、完全な否定から「まだ事実は確認されていない」という発言に変えているが詳しいことはまだ何も語っていない。地下室だって。漫画みたい。特に英語で読むとさらに淫靡な雰囲気が出て、一体どんな先進国なんだと思ってしまう。

当時は兵器を作るために鉄や銅などを国が渇望していたので、こういった軍からの違法労働調達はどこでも行われていたのだろうが、POWに強制労働させるということはジュネーブ条約(だったっけ?)で禁止されており、立派な犯罪である。だけど何だって今になってこんな書類が出てきたんだろう?それは政権交代をたくらむ民主党の勢力が強くなって、機密書類が少しずつリリースされてきてるのだそうである。

ほう・・・

何だかいやだなあと思った。
北朝鮮に拉致された5人が急に帰ってきたときにも思ったけど、結局政府や国家っていろんな問題を一気に解決できる力があるのに何もせず、政府内や国家間で利害が一致したときにだけいい顔して動く。ほんと人間を何だと思ってるんだろう。そういう人たちはとっとと裁きを受けてほしい。

それにしても麻生さん、67歳なんですね。マッケインと5歳しか変わらないんだ。若く見えるなあ。

NYブログでおもしろいのを読んだ。↓政治家ってどれもこれも情けないなあ・・・
http://www.nyniche.com/archives/544
# by bonishijima | 2008-12-22 02:19 | 日本のこと、日本にて

父、失業する

私の家族には父の父の代から30年以上続けてきた副業みたいな仕事がある。1年の半分くらいだけ木~日と週末にその仕事はある。父も母もそして今は弟も、本業と掛け持ちでその仕事をやってきた。数日前、妹からのEメールでそれが2月いっぱいで終わりになると知らされた。私は知らなかったのだけれど、その仕事は毎年年末に契約更新されてずっと続いてきたらしいのだが、今回急にその更新がされなかったらしい。

私の父は書類上の経営者になっているのだが、数年前に脳梗塞の発作を起こして今はほとんど働けない。それでも弟が主に仕事をこなして、父もできるだけ手伝ってこれまで何とかやってきたのだ。

早速父に電話をすると、父はけっこうパニックになっていて「もし仕事が見つからへんかったら、首でもくくる」といつものように悲観的なことを言っていた。でも申し訳ないけれど、この不況の世情で父のように年寄りで体力も特別な資格もない人間が職を得るなんてまず不可能なことである。父には貯金もあまりないし、妻は他界しているし、母が無謀にも昔に買った土地の借金もあるうえ、年金生活できるほどの年齢でもない。おまけに3人の子供はみんなボヘミアン的性格で、妹以外に安定した仕事についている者はいない。パニックになるのも仕方がないのだ。

私も思わず動揺して励ますつもりつもりだったのについつい口調がきつくなってしまって、結局「もう俺のことはほっといてくれ!」と心を閉ざされてしまった。私たちが何とかするから心配しないでと言うつもりだったのに、あんまりにも悲観的で暗かったから、ついつい苛々してしまったのだ。むむむ、どうしよう。

親の借金のことで旦那に頼りたくもないし、私たち姉妹・兄弟でがんばるしかないな・・・と電話の後、旦那には口を閉ざしていたのだが(5分くらい)、興奮冷めやらず思わずなみだ目になってしまってすぐさま旦那に告白することに。

彼が言うには「親にはああしろ、こうしろ、とか言わない方がいいことが多いんだよ。」とのこと。
「そうではなくて、彼に必要なのは今の生活から少し解放されることだから、航空券を送って1ヶ月くらいNYに招待してリラックスさせてあげたら?」「今のところ僕の仕事は大丈夫だから、春になってぼうちゃんがまた働き始めたらそのお金を彼に送ればいいじゃない」
「解決策はいくらでもあるんだから」

・・・はい、いちいちその通りでございます。ううう

うちは私の母も旦那の両親も既に他界しているので、もうすぐ生まれる子供の祖父母というのは私の父しかいない。そして父にとっては初めての孫なのだ。ここは落ち着いてまずは元気な子供を生んで、それが親孝行となるのを祈るばかりである。
# by bonishijima | 2008-12-20 14:22 | 日記
怒涛の週末ヨガトレーニングが終わった。

今週はミッド・タームの試験で、マラソンのように生徒ひとりひとりが30分ごとにクラスを教えていく内容だったので、出産1週間前となった身にはかなりつらかった(ほとんど寝てたけど)。それに加えて難しいヨガ哲学(スートラ)の講義もあり、頭煮沸状態。特に日曜日は朝の8時からだったので、基本的に朝起きられない私にとって、それはほとんど寝られないことを意味していた。が、私のクラスメートはのん気な人が多くて、いや~ついつい夜更かししちゃって4時間しか寝れなかったよ~わっはっは、という明るい人がけっこういた。

それにしてももっと自分が心地よく話せるようなスピードとタイミングで英語が話せるようになりたいものである。クラスではやはり求められる情報伝達のスピードがあって、私の英語はそれよりもかな~り遅い。しかも根本的な問題として英語の言語に心が深く共感できないというのがあるから、言葉が滑ってしまって特にクラスでは居心地が悪くなるのだ。ふぅ・・・もう何年も同じことが課題のこうのとりである。。。どなたか良い学習法ご存知でしたら教えてくだされ。

家に帰って3時間の爆睡後、インターネットのサイトを見ながらバース・プランというものを書いてみた。
http://pregnancychildbirth.suite101.com/article.cfm/planning_your_birth

どのくらいの比率かよくわからないけれど、アメリカでは出産の際の希望を書面に明記して担当の医者や助産士に渡す習慣があるらしい。なるようにしかならない部分もたくさんあるだろうし、とりあえずは母子共に健康であれば何にもいらないのだろうけれど、書きだしてみるとけっこういろいろある。誰が分娩室に入ってきてもいいかとか、どういうポジションで出産したいかとか、自然分娩なのか麻酔を使うのか、どんな種類の麻酔なのか、分娩室で軽いスナックを食べたいかとか、会陰切開はするのか、男の子なら割礼をするかとか、誰がへその緒を切るかとか・・・。あまり色々書いて医者に嫌がられても・・・とかってつい日本人的な考えがよぎってしまうけど、これだけは伝えておこうということをリストにしていく。でも私のおじいちゃん担当医はすごくやさしくて親切で気に入ってるので、現場でもいろいろ口でリクエストしてしまう気がする。

日本では夫も分娩室に入れない場合があると聞いたけれど、本当かな。そうだとしたら私は個人的にすごく心細いと思う。私の夫はやさしいので、そして私はすごく甘やかされているので、分娩の際には何でも頼んでやってもらうつもりだ。出産風景を描いたネイティブ・アメリカンの絵に、夫のキン○マにくくりつけた紐を出産中の妊婦が手に持って、激しい陣痛がやってくるとその紐を引っ張って夫も共に苦痛を味わうというのがある。それを見て私は感動して、私もこれやりたいと夫に聞いてみたら、やってあげたいけど法が許さないんじゃ・・・と口ごもっていた。というか、そんなことしたらちぎれてしまうんじゃないかしらん。

自分でも驚いているのだけど、今回はけっこういろいろ事前に準備をした。妊婦のウェブサイトに、今のうちにおにぎりやすぐ食べられるようなおかずをたくさん作って冷凍しておけと書いてあったので、柄にもなくヒジキを煮たり、炊き込みご飯をつくっておにぎりにしたりしてみた。ヒジキはちゃんと冷凍したけど、炊き込みおにぎりはついつい全部食べてしまってもうない。もう一度作らなければ・・・。

赤ちゃんの服も洗濯して、肌着やらスリープ・サックやらいろいろ入院かばんに用意もした。ああ、私も普通のオンナだったのね。などと自分で自分に感動しながら、失敗しないようにとどきどきした毎日を送っている。
# by bonishijima | 2008-12-15 15:53 | 妊娠日記