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体と心と思想をめぐって勝手に生まれてきた言葉


by bonishijima
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アジュナの開き

アジの開きではありません。
私が経験した瞑想のお話です。ちょっと文章にしにくい世界なので、訳わからないかもしれません。
こういうジャンルが苦手な方はまたのお越しをお待ちしております。

アジュナ(Ajna)とは人間の体に流れる6番目のメイン・チャクラで、一般的に眉毛の間に位置すると言われています。といっても皮膚の表面にある訳ではなくて、そのずっと奥の脳の中心にあります。
ISHTAヨガでいつも行う瞑想にAjna Bhedana(アジュナ・ベダーナ)というものがあって、アジュナに意識を集中してそこにエネルギーを貼り付けて瞑想します。一点に意識を集中させることで、外部の刺激から遠ざかり(sense withdraw)自分の内側の意識を高めていくのです。究極のヨガの悟りの状態、サマーディとはすべてが統合した大きな宇宙になることですが、そこに近づくための段階として、まずは一つの物事に意識を集中させるわけです。実を言うと、私はこの一点集中が苦手で、やろうという気にすらずっとなれませんでした。集中力と持久力という私に欠落する二大要素が必要とされるからです。それがある日、世界が逆転するような経験をしたので、そのことについて少し書いてみたいと思います。

・・・・・・

最近は月・火・水の夜にサラという先生のヨガクラスを受けている。彼女は、ISHTAヨガの創始者アラン・フィンガーと最近結婚した、とても美しくて才能あふれる女性であり、ISHTAヨガのティーチャーズ・トレーニングのディレクターでもある。彼女のクラスはため息がでるほど美しい。だが良いクラスなだけに、自分の精神状態が不安定だと、的確にそれが感じられてしまうという面もある。彼女のクラスは通常アサナ(ポーズ)の練習をやった後に短い瞑想をして終わる。ISHTAは、ヨガの目的は瞑想にあるという考えなので、大体どのクラスも瞑想で終わるのが普通。

今週の月曜日にもサラの美しい歌声で終わるクラスを受けたのだけれど、最後の瞑想の時間に、突然言いいれぬ圧迫感のような、不安のような感覚に襲われた。楽しくクラスを受けていたのに、どうしてそんなことが起こるのか全くわからない。体はすっきりしたけれど、苦々しい思いでスタジオを後にした。翌日、少しおびえながらまた同じ夜のクラスに出かけていった。突然襲われた感覚は突然消えていくんじゃないかという、変な感覚を持ちながら。アサナのクラスはいつものように楽しく、ハードなところはハードで、かつ淡々と過ぎていった。そして最後、ほんの2,3分の短い瞑想の時間にこれまた予期せぬことが起こったのだった。

そのときしていた瞑想はSat Yam(サット・ヤム)というもの。これは第4のメイン・チャクラでハートのチャクラと言われる、アナハタ・チャクラに呼吸とともにエネルギーを注ぎ込みハートの中心から外へ意識を広げていく。そのあと、人差し指につばを軽くつけて眉毛の間を湿らせ、そこへ意識を集中させるアジュナ・ベダーナをした。そのときである。不意に眉毛の間がどんどん奥深くなっていくような不可思議な感覚が突然現われた。少しSFもどきになってしまうが、あえてそのときに広がったイメージを説明してみると、インカのピラミッドの地下に深い深い階段があって、下りていくと漆黒の空間につながっているというものだった。これは後で浮かんできたイメージなのか、そのとき思い描いたイメージなのか、今となってははっきりとしないが、とにかくそんな感じでとても摩訶不思議な世界だった。漆黒の中に浮かび上がるピラミッドの架空の地下階段を一つ一つ降りていくごとにアジュナが深くなっていく。意識は完全に空っぽになっているわけではなく、いろんな雑念というか思念のようなものはたくさん自分の中に渦巻いているのだが、脳の真ん中のアジュナだけは、まるでブラックボックスに吸い込まれたようにどこか遠い時空の中に貼り付けられていた。何が起こったのかわからないまま、私はずっとそこに座り続けていた。他のみんなが、シャバーサナ(死体のポーズ)という最後のリラクゼーション・ポーズになって床に横たわり始めても、私は全く動くことができなかった。それは、何と言うか、至福の時間だった。静かな漆黒の空間に自分という生命体が膨張してたゆたっているような。初めての体験だった。

クラスが終わり、そのまましつこく目を閉じたまま座り続けていたが、部屋の明かりが点されると共に、ようやくゆっくりと体を動かすことができた。尋常じゃないほどアジュナの一点が痛いほど熱い。まるでウルトラマン(?)の胸のアラームみたいにビンビン光っているような感じだった。

一体何が起こったんだろう・・・
ぼんやりと目を開けたまま呆然とそのまま立ち尽くすのみだった。

それ以来、はっきりとアジュナ・チャクラが身体的に意識できるようになった。それはまるで関節のように、ただそこにある。意識を持っていくとごく自然に深い瞑想状態に入れるようになってしまった。こうやって書くとインチキくさいが、本当のことだから仕方がない。こんな世界があったのか、という思いだ。ヨガの本にもチャクラについて色々書いてあるし、もちろんアランや他の教師達もいろんなことを話してくれていたが、まさか本当に確固として実在するものだとは思っていなかった。何にせよものすごく気持ちのいい集中力が生まれるので、いつでも時間と場所があれば瞑想したいという気持ちになる。今まで瞑想が苦手だったので、これはいいニュースである。

今は授乳の合間にでも瞑想できるようになった。でももっと長く落ち着いてやってみたい。ISHTAでは毎日最低18分間、何もせずにただ静かに座って瞑想しなさいという教えがある。とてもシンプルでいいではないか。
by bonishijima | 2009-02-20 07:27 | ヨガ